2013年02月08日

沖縄県まるごとロックオンな話。



まずは、
尖閣近海での中国のフリゲートによる
自衛艦へのレーザーロックオンの詳細とその裏にある思惑っす。

こちらロックオン詳細。


こちら中国の思惑ね。



つまりは、
中国は現在、どう見ても国際的には日本領土である尖閣諸島を
国際法上許されんようないろんな禁じ手をつかって
日本に尖閣に領土問題があると認めさせることによって
紛争化を狙ってとる。
ということらしいです。


ヤクザ国家とは知ってたけど
ホンマなんでもアリなようでんな。。。

福沢諭吉じゃないけれど
個人的には経済的損失があろうが
マジで日本の未来のためにも

その歴史上永遠と自国民殺しながら権力闘争やっとるような
中国、朝鮮半島とは国交断交でええんじゃないかと思う次第です。

国交断交したうえで
お隣さんとして必要最小限の付き合いでええんでないかと...



さて。
ここにアップした青山氏とは違って、

”領土問題を認めるべきだ”と
結論的には中国と同じ主張されとるお方に
北方領土問題で鈴木宗男氏とセットで記憶される
元外務省官僚の佐藤優氏って方がおりますが、

氏曰く。
沖縄は今、民族紛争の”さわり”のところに来ているということらしい。

いちいち書くと長くなるので
その主張をばかいつまむと、

@今問題になっとる民族紛争の歴史は実はここ数百年のことである。
A沖縄は元来、亜民族であり、日本とも中国ともいえる立ち位置にある。
B日米同盟の中、沖縄の負担がピークに達しておりそれを利用して民族紛争へと煽る中国と
 それに同調する沖縄のエリート階層が存在する。
C中国にとっての最終的な形は、1881(明治14)年2月の宮古島、石垣島の中国への分島案に戻り
 宮古島、石垣島を中国領とし本島を琉球として独立させることにある。

とまあ、
そんな主張です。
(詳細読むと印象変わるかもしれんので興味のあるかたは検索よろぴくです。。)




宮古島を中国にてか???。。

アホか!
中国人なんかになってたまるかぁ!!!!!!!!!!!!


・・・


もとい。



まあ、尖閣の件も
中国からみたらそういう戦略のうちのひとつなんでしょうな。

動画の中で青山氏が言うとったように
長期のスパーンで計画建てる能力は中国の方が上手のようであります。


まあ、なんにしても
青山氏の見方にしても、佐藤氏の見方にしても
いろんな見方があり、戦略があり、その中で歴史が動いとるということです。

それだけに沖縄のアホな現状が苛立たしいです。

たとえばオスプレイ配備反対運動をやるにしても
それが対中国にとってどうなのかという冷静な見方をできずに

ただアホのひとつ覚えみたいに
”戦争反対ぃぃぃ〜〜”だとか”憲法9条を守れ”とかの
耳ざわりのいいスローガンに踊っとる沖縄の姿は
県民のひとりとして苛立たしいもんがありまんなぁ。。


普通に暮らす一般県民も
良くも悪くも”無関心”というのもまた
大きな問題だと思うんですけどね。



最後に
沖縄県立総合教育センターのHPでは
1881年の宮古島、石垣島の分島案に関して
こんな記述になっとります。

記述自体が、びっくりするくらい中國目線であり、
嫌や嫌や日本になったといいたげな書き方なのみると
やはり沖縄の一部のエリート層には
中國人になりたくて
うずうずしとるお方ががいるということなんでしょうな。


これこれ。。↓↓


宮古・八重山分島問題

 琉球問題は、廃藩置県による沖縄県設置で完全に解決されたわけではありませんでした。
清国は依然これを認めず、また琉球でも清国に救援を求め続ける人たちがいました。

 清国から琉球問題の調停依頼を受けた米国前大統領のグラントは、伊藤博文ら政府高官と協議し、
日清交渉をとりつけました。その交渉の場で日本側が出した案が、
日本の中国国内での欧米なみ通商権を認めることと引きかえに、宮古・八重山を中国へ引きわたす、というものでした。これがいわゆる「分島・増約案」です。

 交渉は難航しましたが、ロシアとの国境紛争も抱えて早期解決を望んでいた清国側は、
やむを得ず日本案を受け入れることに同意しました。
 1881(明治14)年2月、両国の代表が石垣島でおち合い、正式に宮古・八重山の土地・人民を清国に引きわたすことになりました。

 しかし、いざ調印の段階になると、清国側は国内の混乱や日本の東アジア進出の危機感をおぼえて調印をためらいました。また、琉球の清国亡命者の再三の請願書も影響して、結局は正式調印されることなくこの条約は棚上げされました。

 1872(明治5)年の琉球藩設置にはじまり、1879(明治12)年の廃藩置県による沖縄県設置、そしてこの分島・増約問題にいたる政治過程が「琉球処分」とよばれるものです。

 その後、日本の朝鮮進出によって日清間の対立は激化し、ついに日清戦争(1894〜1895年)が勃発しました。この戦争で日本が勝利をおさめ、台湾が日本の植民地となったことにより、琉球問題はあいまいにされたまま日本に属することになりました。





歴史認識というのは
教育によって作られるところが大きいです。

それだけに客観的な論調が求められると思うんでっけど
沖縄の教育現場では客観論より一部の国に迎合するかのような論調が目立つのは
教育のスタンスとしてどうなんでしょうかね?

どっかの国みたいに
愛国心バリバリの論調で教育しろとは思わんけど

この時代の背景をまったく無視したこの書き方は
沖縄県の教育施設としてはこれはちと酷いと思いまんな。



posted by カン at 03:37| Comment(5) | TrackBack(0) | 宮古島2013 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする